両親と過ごしたアメリカの夏休み
震災後、放射能汚染などで変わらず不穏な空気に満ちた日本を離れ、傷ついた母国を想う気持ちを少しでも癒して欲しいと、両親を招待した今年の夏. . . .
その両親がアメリカの土を踏むのは、私達の結婚式以来の実に4年ぶり。シンシナティの我が家に訪れるのは初めてのことです。父からは、「せっかくだから、震災の際にとても心配して下さったポールのご家族とも再会し、ご挨拶したい」との提案があり、母からは、彼ら一人一人のお土産を念入りに相談する電話が連日のごとく入りました。その後、到着した両親のトランクの中身は、ほとんどがお土産という状態!!日本人の細やかな心遣いや生真面目さを、こんなところにも感じます。
当初は美術館巡りや観劇などを検討していたものの、バケーションシーズンでこれと言った演目もなく、結局具体的なプランを立てないまま、両親が訪れることに。。。
結果、自然や動物を愛する両親は緑に囲まれた我が家の環境に感動し、「これなら次回はもっと長く滞在しよう」との声。朝は色とりどりの鳥を眺め、日中はラブランドの遊歩道を散歩、夜は窓辺に座り、初めて見るアライグマ達の鑑賞を心ゆくまで楽しんでいました。
またある日は、「異国で幸せに暮らす志野の様子を両親に見せたい」というポールの計らいから、行きつけの日本食レストランに親しい友人達を招いての食事会を開催。オーナーのご夫婦も、前週から両親の食の好みなどをたずねて下さり、当日は目にも鮮やかなご馳走とともに様々な種類のお酒が並びました。宴もたけなわの頃、父からスピーチをしたいとの声が上がり、私は「途中でほろりとしてしまったらどうしよう」と思いながらも、無事通訳を終えました。改めて、両親の深い愛と、日頃この地での暮らしを支えてくれている友人達の存在のありがたさを実感した夜. . .
翌朝は義家族の住むジョージア州へ!大都市アトランタの喧噪を抜け、豊かな田園風景を眺めながらエルバートンの街へ向かいます。到着後は、皆と熱いハグをかわしたのちに義母お手製のチョコレートケーキで盛り上がり、、というのも、私が義母から習い、それを日本の母に伝授し、今や母は年中このケーキを焼いているため、本家本物の義母のケーキを賞味できてご満悦だったのです。
その後は約1時間離れた湖畔の別荘に移り、そこで残りの数日間をゆっくりと過ごしました。父は男性陣と念願の釣りを楽しみ、母は義母や義妹が演奏するピアノに合わせて歌い、南部特有の美味なブランチを食したあとは皆でお昼寝をし、ある日はボートで繰り出して泳ぎ、夏のひと時はあっと言う間に過ぎてゆきます。
そしてとうとう最終日. . . 手塩にかけて育てた一人娘が海外に暮らし、一年に一度会えるか否かという状況の中で、日頃両親がどれだけ心配してくれているかを知っている私は、見送りの空港でこらえきれずに涙ぐんでいました。それを見てもらい泣きしながら、大きく手を振って搭乗口へと消えて行く両親を見つつ、心の中でつぶやきました。「ありがとう。いくつになっても、何があっても、私は永遠にあなた達の娘です. . . 」
その両親がアメリカの土を踏むのは、私達の結婚式以来の実に4年ぶり。シンシナティの我が家に訪れるのは初めてのことです。父からは、「せっかくだから、震災の際にとても心配して下さったポールのご家族とも再会し、ご挨拶したい」との提案があり、母からは、彼ら一人一人のお土産を念入りに相談する電話が連日のごとく入りました。その後、到着した両親のトランクの中身は、ほとんどがお土産という状態!!日本人の細やかな心遣いや生真面目さを、こんなところにも感じます。
当初は美術館巡りや観劇などを検討していたものの、バケーションシーズンでこれと言った演目もなく、結局具体的なプランを立てないまま、両親が訪れることに。。。
結果、自然や動物を愛する両親は緑に囲まれた我が家の環境に感動し、「これなら次回はもっと長く滞在しよう」との声。朝は色とりどりの鳥を眺め、日中はラブランドの遊歩道を散歩、夜は窓辺に座り、初めて見るアライグマ達の鑑賞を心ゆくまで楽しんでいました。
またある日は、「異国で幸せに暮らす志野の様子を両親に見せたい」というポールの計らいから、行きつけの日本食レストランに親しい友人達を招いての食事会を開催。オーナーのご夫婦も、前週から両親の食の好みなどをたずねて下さり、当日は目にも鮮やかなご馳走とともに様々な種類のお酒が並びました。宴もたけなわの頃、父からスピーチをしたいとの声が上がり、私は「途中でほろりとしてしまったらどうしよう」と思いながらも、無事通訳を終えました。改めて、両親の深い愛と、日頃この地での暮らしを支えてくれている友人達の存在のありがたさを実感した夜. . .
翌朝は義家族の住むジョージア州へ!大都市アトランタの喧噪を抜け、豊かな田園風景を眺めながらエルバートンの街へ向かいます。到着後は、皆と熱いハグをかわしたのちに義母お手製のチョコレートケーキで盛り上がり、、というのも、私が義母から習い、それを日本の母に伝授し、今や母は年中このケーキを焼いているため、本家本物の義母のケーキを賞味できてご満悦だったのです。
その後は約1時間離れた湖畔の別荘に移り、そこで残りの数日間をゆっくりと過ごしました。父は男性陣と念願の釣りを楽しみ、母は義母や義妹が演奏するピアノに合わせて歌い、南部特有の美味なブランチを食したあとは皆でお昼寝をし、ある日はボートで繰り出して泳ぎ、夏のひと時はあっと言う間に過ぎてゆきます。
そしてとうとう最終日. . . 手塩にかけて育てた一人娘が海外に暮らし、一年に一度会えるか否かという状況の中で、日頃両親がどれだけ心配してくれているかを知っている私は、見送りの空港でこらえきれずに涙ぐんでいました。それを見てもらい泣きしながら、大きく手を振って搭乗口へと消えて行く両親を見つつ、心の中でつぶやきました。「ありがとう。いくつになっても、何があっても、私は永遠にあなた達の娘です. . . 」
この記事へのコメント
ご両親が来られていたのですね、ステキな夏休みで良かった!
きっとご両親も安心して帰国されたでしょう!